ある入学式の日でした。
式が終わって、
新入生と保護者は
教室に入り、
担任の先生と
あいさつを終えると、
新入生は、
他の先生たちに引率され、
学校探検に行きます。
保護者は、担任から
入学にあたっての
話がありました。
子どもたちが、
学校探検をしているときに、
どの先生にも話しかけている、
やたら目立つ、
かわいい顔した子がいました。
5年後、
私が担任となりました。
その子は、友達が多く、
誰からも好かれているのですが、
けんかなどのトラブルも
とてもたくさんありました。
懇談会の時にお母さんは、
「うちの子は、
発達障がいじゃないでしょうか」
とおっしゃられました。
私は、お母さんが、
今までいろんな人に
責められていたんだな
と感じました。
何とか、トラブルを
起こさないようにと
たくさん叱ってきたんだ
とも思いました。
私は、お母さんに
「障がい名をつけてほしければ、
困ったことをたくさん並べて
医者に話せば、
何かしらの障がい名を
つけてもらうことは
できると思います。
そうでなければ、
障がいあるなしよりも、
今後どうしたら、
トラブルが起こらないように
手助けできるかを
考えた方が良いと思う」
という話をしました。
そして、「できるだけ、
たくさん誉めれるといいですよね」
と・・・
その子は、友達想いで
とても優しい子どもでした。
しかし、そんな気持ちを
素直に表現できなくて、
トラブルになることが
多かったのです。
叱られて大人と
関わってきたと見えて、
たくさん叱られることを
私の前でしてくれました。
一番前の席で、
後ろを向いて話をしている
その子に「○○、うるさい」
というと、
「××もしゃべっていた」
といいます。
「○○がしゃべらなければ、
××は、しゃべらない」というと、
「いったな~」といって、
その後一切しゃべらず
静かに授業を受けていました。
今思い出しても、
微笑ましく思います。
毎日関わっていた、私には、
『ものすごく素直な子』
として見えていましたが、
時々しかいていない人には、
ひねくれた子供に
見えることもあったかも
しれません。
”ほめて伸ばす”ということが
一時よく言われました。
特別支援に関わってきた
こともあるのか、
”誉める”ことに自信があります。
言葉としては、
”誉める”ことをしてきたのですが、
”誉める”という言葉よりも、
”認める”という言葉の方が
しっくりきます。
行動や言動、できたことを
”認める”ことで、
子どもたちは、
伸びていくんだと思うのです。
”見ていたよ”ということを
子どもたちに伝えるときに、
”誉める”という言葉に
なってしまうのかなと思います。
その頃の子どもたちには、
頑張っているアピールを
することが大切だという話を
よくしてきました。
同じように、
私たち大人も、
”見ているよ”というアピールを
子どもたちにしてあげられると
良いと思っています。
そして、意外と、
”見てるよアピール”
が苦手な大人が
多いのではないかと
感じています。
確かに子供たちは、見ていることが、安心したり、励みになったりするんでしょうね。
認めるって、素敵ですね。
意外とわが子をありのまま認めるっていうことが・・・・難しかったりするんですよね~
わが子だからこそ・・・
親の理想だったり、時に「夢」まで背負わせていたり・・・
知らない間にしてしまいがちなんですよね。
親としての心の余裕が大切なことになるのかな・・・